戦国時代、三木の地を治めていた別所氏は、織田信長の命を受けて中国毛利攻めの軍を進めてきた羽柴秀吉の大軍と交戦し、1年10ヵ月にわたって激しく戦いました。三木城は、堅固で、良将がいる上に城兵の士気も高く、難攻不落の城でした。
しかし、「兵糧攻め」という秀吉の奇策にあい、当時の城主であった別所長治公は、飢えに苦しむ城兵や領民の姿を見るに忍びず、城兵の助命と領民の安全を第一義とし、自らの命を引き換えにすることを決意し、天正8年正月17日、「今はただ恨みもあらじ諸人の命にかわる我身と思えば」との辞世の句を残し、一族と共に自決して開城しました。
この長治公の遺志は、羽柴秀吉に感銘を与え、城兵と領民は許されると同時に、租税免除などの善政が行われたので、めざましく復興し、その後三木市発展の大きな礎となりました。
『別所公春まつり』は、この長治公を偲び三木市の大恩人として後世に長く語り継ぐために開催しています。
当日は、三木城跡の長治公辞世の句が刻まれている歌碑の前で『歌碑祭』が行われるとともに市内の各所でいろいろな団体による協賛行事が行われます。また毎年長治公とその一族を偲ぶ献詠歌を募集し、優秀作を『歌碑祭』で朗詠しています。
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