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秀吉と三木

第9話 由己と秀吉

黄金の茶室を造るなど、自己顕示欲を存分に発揮する秀吉は、さらに奇抜なことをやってのけました。
大阪城の能舞台に出演しましたが、演目は新作の「柴田退治記」で主役の秀吉を秀吉自身が演じたのです。
この台本を書き下ろしたのが藻虫斉梅庵(そうちゅうさいばいあん)こと大村由己(おおむらゆうこ)です。

由己は、三木大村金剛寺の塔頭(たっちゅう)、青柳山長楽寺(せいりゅうざんちょうらくじ)の僧・頼音房(らいおんぼう)が前身です。自らの才能を持て余していたのでしょうか、秀吉の三木城攻めで大村一帯が秀吉側の陣地になっていましたから、うまくとり入って秀吉の祐筆となったのです。
同郷の藤原惺窩同様、京都相国寺で学んだこともある由己ですが、性格的には好対照で、秀吉に仕えてからは文学のすべてにめきめきと才能を表し、記録文学から謡曲、和歌、連歌、俳句、狂歌などに手を染めています。

秀吉天下取りの天正13年には貝塚で、蟄居中(ちっきょちゅう)の本願寺顕如上人、教如新門主の前で、自作の「播磨別所記」など軍記を朗誦(ろうしょう)しています。 天正15年に関白太政大臣となった秀吉は「関白任官記」を由己に書かせました。その中で祖父が萩中納言で、母は宮中に出仕していたなどのフィクションまで加えたため、後世の史家からは重要視されていないようです。

三木合戦で焼失した金剛寺の復興を秀吉に願ったり、朝鮮の役に参加したりした足跡があり、秀吉の亡くなる2年前の慶長元年に大阪天満宮会所の社僧として生涯を終えています。    


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