
別所長治公の命日にあたる1月17日、別所公奉賛会※により「別所公祥月命日法要」が雲龍寺(上の丸町)で営まれています。今回は、法要を担う雲龍寺の住職に、これまでの歴史や思いなどについて伺いました。
※三木地区区長協議会を母体とし、別所長治公の遺徳を敬慕し、慰霊並びに顕彰事業を行う団体

播磨・三木城の若き城主として、戦国時代、織田信長の命を受け中国毛利攻めの軍を進めてきた羽柴(のちの豊臣)秀吉を大将とする織田軍と1年10カ月にわたり戦いました。「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めに耐えましたが、兵も民も飢えに苦しむ中、長治公は苦悩の末、自らが命を絶つことで人々を救おうと辞世の句を残し、一族と共に自決して開城しました。この長治公の遺志は、羽柴秀吉に感銘を与え、城兵と領民は許されると同時に、地子(じし)免除(屋敷地にかかる税金の免除)などの善政が行われ、その後三木市発展の大きな礎となりました。

▲雲龍寺 住職 井上良典さん
「別所公祥月命日法要」は、三木の人々を守るために自らの命を差し出した別所長治公の思いを受け継ぐ大切な行事です。
今から446年前、当時23歳だった長治公が人々を救うために開城を決断したことは、のちの三木の復興を導き、現在のまちの姿へとつながる大きな転機になったと語り継がれています。
雲龍寺は、奉賛会や地域の皆さんに支えられながら、長治公の首塚を守る寺として長年この法要を続けてきました。法要は供養に加えて、「三木の今を長治公に報告する」という意味も込められています。現在は関係者のみで営まれていますが、今後は長治公の思いに心を寄せている地域の方々にも、節目の際には参加していただけるような機会をつくるなど、皆さんとともにその志を次の世代へしっかりつないでいきたいです。
雲龍寺には別所長治公を弔う首塚が残されています。現在に至るまで、地域の方々が清掃や献花を続けてくださるなど、長治公を偲ぶ場所として大切に守られています。
三木の干し殺しに耐えた城兵たちは壁土に塗込められたワラをも食したといわれています。法要後には当時の惨状を偲んでワラに見立てたうどんを食べる「うどん会」が長年受け継がれています。
別所公奉賛会 事務局(市民協働課内)
Tel:0794-82-2000
みきのええトコ第78回 受け継がれる別所長治公の志「別所公祥月命日法要」を掲載した広報みき1月号(2026年)はこちら