
竹中半兵衛重治公は、美濃(岐阜県)出身で、戦国屈指の知略家・名軍師として知られています。豊臣秀吉のもと、優れた軍略で数々の戦いを支えました。三木合戦のさなかに病で倒れ、天正7(1579)年6月13日、三木の地で生涯を終えました。
平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)の西側の山麓には、白い練り塀に囲まれた竹中半兵衛重治公の墓があります。今年も地域の人々によって、月命日の7月13日に竹中半兵衛重治公第447回忌法要が営まれ、400年以上にわたり受け継がれてきた伝統が今も大切に守られています。
私は幼い頃、祖父に連れられてお参りした記憶があります。それ以来、毎年竹中半兵衛重治公の法要に参加しておりますが、少なくとも70年以上前から現在のような形で法要が営まれていたと思います。
地域のみんなにとって、竹中半兵衛重治公の存在は、特別というより、日常の中に当たり前にあるもので、「半兵衛さん」と親しみを込めて呼んでいます。
地域に残っていた古文書には、半兵衛さんの子孫から供養のための資金が託され、その資金をもとに通称竹中山と呼ばれる土地を開墾し、畑の収益を法要の維持に充てたと記されていたと聞いています。現在も地域のみんなが交代で墓所の清掃や管理を続けており、長年にわたり大切に守り継いでいます。
半兵衛さんの生誕地である大野町(岐阜県)や竹中家菩提寺(禅幢寺)がある垂井町(岐阜県)と交流があり、毎年7月13日の法要にもお越しいただいています。また、最近はNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」の影響もあり、遠方からも多くの人が訪れるようになりました。こうして多くのご縁がつながっているのも半兵衛さんの人徳があってこそだと感じています。
400年以上守り続けてきた歴史を若い世代へ受け継ぎ、これからも地域のみんなで守っていきたいです。

▲竹中半兵衛重治公第408回忌法要の様子
みきのええトコ第84回 「平井地区の住民によって長年にわたり守り継がれてきた伝統 竹中半兵衛重治公法要」を掲載した広報みき7月号(2026年)はこちら