天正の世、三木を治めていた三木城主別所長治公は、天下統一の野望に燃える織田信長の命を受けた中国攻めの将、羽柴秀吉と戦いの火蓋を切りました。自然の要害を巧みに利用した三木城が堅固なうえに、城兵の士気も高く、難攻不落であると悟った秀吉は、力攻めをあきらめ、兵糧攻めに切り替えました。
世にいう「三木の干殺し」の始まりです。(→『別所公春まつり』参照。)
この奇策に耐えた城兵たちは、牛馬や草の根はもちろんのこと、壁土に塗込められたワラをも食したといわれています。
それから、1年10か月後の天正8年(1580年)長治公は、城兵たちの惨状を見るに忍びず、ついに自決して果て、三木城は開城しました。
『別所公祥月命日法要』は、別所長治公を偲びその遺徳を讃えるため、法要を執り行っています。
また当日行われる「うどん会」は、当時の惨状を忍び、領民を思う公の遺志を後世に語り継ぐため、毎年1月17日に、公の首級が葬られている雲龍寺において、ワラに見立てたうどんを食べる伝統行事です。
日時 | 1月17日 午前10時より |
---|---|
場所 |
雲龍寺(曹洞宗) |
主催 | 別所公奉賛会(三木地区区長協議会) |
行事内容 | 本堂読経、詩歌朗詠、墓参、うどん会 |