令和6年度の夏の義民祭では、歴史講話『江戸時代の三木について』、宝蔵古文書虫干しの一般公開を実施します。ぜひご参拝ください。
天正8年、三木城攻めを終えた羽柴秀吉は、寺院の中でただひとつ焼けなかった本要寺に本陣を移して、自刃した別所長治の首実検をしました。このあと、戦火をのがれて四散した町民農民を呼び戻すため地子免許の制札を立てました。これは、長治の善政をそのまま真似たものですが、制札は後世になってもおおいに役立ちました。
たびたびの領主替えになっても、先の領主にもらった書付け(地子免許状)を差し出して税や様々な労役を免れてきましたが、徳川の世「延宝の検地令」はその願望を打ち砕きました。そこで、本要寺を会合場所として町民の会合を開いた結果、平田町の大庄屋「岡村源兵衛」と、平山町年寄「大西与三右衛門」が江戸城へ直訴に出発しました。当時の直訴は死罪でした。
延宝5年3月に三木を出立した二人は老中にまで願い出ましたが、結果は思わしくなく秋を迎えました。この時、本要寺に残されていた秀吉の制札がみつかり、早速江戸へ届け出たため、有力な証拠となり、暮れもおしつまった12月24日になって幕府から赦免を認められました。しかも誠意が認められた二人は死罪を免れ、再び三木の地を踏むことができました。
二人の没後、本要寺に二人を義民として顕彰する碑を建ててその功をたたえました。
そうして制札や記録がいかに大切かを知った人々は、その側に宝蔵を建て多くの文書を残しました。
本要寺では7月18日に法要と古文書を虫干しし「夏の義民祭」を執り行っており、又、大西与三右衛門の墓がある本長寺では12月8日に法要と共に「冬の義民祭」を執り行い、二人の功績をたたえています。
▲法要
▲虫干し
月 日:7月18日
場 所:本要寺(三木市本町2丁目3-6)
主 催:三木義民顕彰会
1.お寺関係者、来賓による墓前法要
2.追悼法要
3.講演 講師による歴史講話
4.宝蔵古文書虫干し