
平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)は、三木合戦の際、羽柴(後の豊臣)秀吉が本陣とした付城です。美囊川と志染川に挟まれた丘陵上に位置する平井山ノ上付城跡は、三木城を包囲する織田方の付城群の中でも最大規模を誇り、国の史跡に指定されています。天正6年(1578)8月中旬頃、秀吉が着陣し兵糧攻めを本格化させ、10月に別所方が本陣への襲撃を試みましたが、その手前で待ち構えていた羽柴秀長の軍勢により別所長治の弟 治定らが討ち死にするなど、別所方の敗北に終わりました。
今回は、三木市文化財保護審議会会長の宮田さんに平井山ノ上付城跡について話を聞きました。

▲三木市文化財保護審議会
宮田 逸民さん
私は、学生の頃から城や歴史に興味をもち、文献を調べたり、現地を訪ねたりしながら調査を続けてきました。
平井山ノ上付城跡は、天正6年(1578)に織田信長の長男信忠が三木城を支援する神吉城や志方城を攻略した後、築城したといわれています。主郭は見晴らしがよく、天気の良い日には播磨町の海岸付近などを望むことができます。
また、主郭は、天正6年10月15日の朝に羽柴秀吉が堺の茶人 津田宗及(つだそうぎゅう)を招き、初めての茶会を開催した場所でもあります。
三木市は、城を守った別所側とそれを攻めた秀吉側の両方の城跡が残る全国でも貴重な地域です。
実際に主郭に登り、景色を眺めると、秀吉がなぜこの場所に本陣を置いたのか、きっと実感してもらえると思います。

▲段状の平坦地群
兵を滞在させられるように斜面地を削ったり、土を盛ったりして、段状に複数の平坦地が築かれています。

▲主郭からの景色
主郭は、三方が低い土塁で囲まれた、最も主要な区画です。南西方向に三木城跡を望むことができます。
文化・スポーツ課
みき歴史資料館
Tel:0794-82-5060
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