令和3年6月1日~7月4日(新型コロナウイルスの影響により、会期を変更して開催しました)
三木城は、天正6年(1578)3月から天正8年(1580)1月にかけて、毛利輝元を後ろ盾とする別所長治方と羽柴秀吉を大将とする織田信長方との間で起こった三木合戦の舞台として広く知られています。三木城は、播磨屈指の大規模城郭であり、堅く守備していたものの、「三木の干し殺し」とよばれる兵糧攻めに遭い、徐々に城兵が疲弊していったことから、ついには城内への侵入を許すこととなり、最終的には別所一族の自害により、開城となりました。
このように、三木城は要害堅固であったことが分かりますが、その縄張り(平面構造)については、戦後の開発により、大きく姿を変えてしまったため、その全容は長らく不明のままとなっていました。しかし、近年の研究の進展によりその全貌が明らかとなりつつあります。
そこで、本企画展では発掘調査成果や各種資料を通して、在りし日の三木城の縄張りについて紹介しました。
令和3年7月31日(土曜日)~10月3日(日曜日)
三木合戦は、天正6年(1578)3月から天正8年(1580)1月までの1年10か月にかけて繰り広げられた毛利輝元を後ろ盾とする別所方と羽柴秀吉を大将とする織田方との戦いとして広く知られています。三木合戦は、その表舞台である三木城をはじめ、その周囲を取り囲んだ織田方の付城、そして播磨各地に所領をもつ多くの武将(国人)を巻き込んだ争いであったことから、関連する城郭も広範囲に及んでいます。
このように、播磨の城郭の多くは、三木合戦とかかわりがあることが知られていますが、それぞれの城郭がどのような構造をしていたかということについてはあまり知られていません。
そこで、本企画展では、播磨をフィールドとする中世城郭研究家の木内内則氏が描いた想像復原図を主体とした展示を行い、三木合戦とかかわりのある主な城郭の作品を取り上げることにより、当時の城郭のイメージを紹介します。
令和3年11月6日~令和4年1月16日
藍染めの道具である型紙は、江戸時代の三木の名産品でしたが、近年まで地域で忘れられた産業となっていました。昭和の終わり頃から三木の人々が再発見し、資料として収集・保存したことで、その存在が知られるようになりました。
現在は「新三木市史」の編さんに当たり、成果を掲載できるよう調査・研究を進めています。
本企画展では、江戸時代後期から明治時代初め頃の型紙と三木との関係を表す近世以降の史料を展示することで三木の型紙の歴史や技法、デザインについて紹介しました。
令和4年2月19日(土曜日)~3月21日(月曜日・祝日)
兵庫県立歴史博物館では、施設・設備改修工事にともなう休館中の令和3年度から4年度にかけて、摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の旧五国の博物館・資料館を会場として、五国のそれぞれの特色に注目しながら、県立歴史博物館所蔵資料を紹介する巡回展を初めて開催します。
そこで、播磨地区の巡回展について、みき歴史資料館を会場として開催しました。